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セイギノミカタ
ここ数日、「正義」って何だろうと考えている。

今、誰もが自分の「正義感」で何かをしようと、何かを伝えようとしている。
それはとても尊い事だと思う。
けれど、「正義感」は人それぞれ違う。
その人その人の価値観の上に「正義感」はある。

この状況下、自分の「正義感」を盾にして政府や東電を非難、糾弾する人がいる。
立場のある人が"嘘"や"馬鹿"と言ったレベルの低い言葉で彼らを攻撃する。
誰もが不信感を持ち疑心暗鬼になっている今、言いたい気持ちは分からなくもない。
政府や東電の対応がすべて正しいとは言えないという事に異論はない。
しかし、非難や糾弾では今の状況を好転させる事にはならない。
たとえ非難をしなければならないとしても、それは今でなければならないのだろうか。
そうする事でたとえ一人でも誰かが笑顔になるのだろうか。

「正義感」は個人のものだ。
けれど、その人の「正義感」が形となって誰かを救えたとしたら、その人は、救われた誰かにとって「正義の味方」になる。
「正義感」は、それをもって救われた人がいてはじめて本当の「正義」となる。
今、この国ではとても多くの「正義の味方」が必死になって戦っている。
誰かの笑顔を見るために「正義」を貫いている。
その強い想いにはただただ敬意を送りたい。

僕もどこかの誰かにとっての「正義の味方」にならなければ。
by ysk524 | 2011-03-21 23:28
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